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北楯大堰について

施設概要


・施設の所在:山形県東田川郡庄内町清川地内ほか

・供用開始年:1612年

・かんがい面積(受益面積):2,880ha

・水路延長:4.9㎞(北楯頭首工~二俣分水工)

・流域名:最上川水系立谷沢川

・所有者:農林水産省

・管理者:山形県

北楯大堰の概要

農林水産庁は平成30年8月14日、国際かんがい排水委員会(ICID)が歴史的価値のある農業用水利施設を登録する『世界かんがい施設遺産』に北楯大堰が選ばれたと発表しました。

※山形県内では初の選出となります。

 大堰開削以前の当地域は荒地が多く水不足に悩まされていた他、川より土地が高いためみ水を引くことが出来ませんでした。その為人々の生活は困窮を極めておりました。時に慶長6年(1601年)狩川城主となった北舘大学利長公は「領民が豊かな生活を出来ることが領主の勤めとし、水不足の問題に取り組む事」を決心しました。水源を求めること10年、綿密な計画を練り上げ河床の高い立谷沢川から水を引き、「せき台」を作って平野部に水を流すことにしました。開削計画書を主君最上義光公に提出し大堰の許可を請願しました。御前会議では大激論になりましたが、義光公は大学様の熱意に心動かされ『百姓を憐れむ心得が肝心。予も満足』大工の棟梁若狭を狩川に遣わし、その報告を受けて義光公は藩営事業として行うことを決断して工事着工となりました。山裾での掘削では地すべりにより16人の人夫が犠牲となる事故が発生したり、崖に隣接する最上川の埋め立てでは、激流のため土石が流され、何度も埋め立て作業を繰り返したりするなど困難を極めました(事故が発生した場所には「殉難十六夫慰霊塔」、激流で何度も埋め立てた場所には「青鞍の碑」が設置されています)しかし、そんな困難な状況の中、暗夜には提灯の明かりをかかげて高低差を測量する高精度の測量技術や正確で綿密な設計、そして1日約7,400人もの作業員を動員するなどして、慶長17年(1612年)7月、ついに大堰の最初の目標であった清川~三カ沢(約10キロ)を完成させました。その後、門田までの区間(約10キロ)も完成しました。計画も含めると約15年かかった大型プロジェクトでした。完成後は水路が次々とひかれ新田開発と集落が出来ていき、今も現役の水路として、400年間絶える事なく流れ続けており、米どころ庄内平野を潤し、豊かな生活の礎を築いています。

 北楯大堰は「全国疎水百選」にも選ばれており、また水源の立谷沢川は「平成の名水百選」に選ばれています。

 

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